中川正春の永田町かわら版 2007/1/30 第266号 |
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【編集元】民主党三重第2区総支部 衆議院議員中川正春事務所 E-mail:g03063@shugiin.go.jp 三重/〒513-0013 鈴鹿市国分町453-7 TEL:059-373−3933/FAX:059-374−3088 東京/〒100-8981 千代田区永田町2-2-1衆議院第一議員会館428号室 TEL:03-3508-7128/FAX:03-3508-3428 |
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○国会スタート 国会では、29日から代表質問が始まりました。「格差の解消」、「政治と金」が二大争点。これに対して、安倍総理は「憲法」を争点にしようと画策しています。これは、問題外です。 「政治と金」については、角田参議院副議長の辞任、小沢さん自身の事務所費の説明責任など、わが方も大失態をしています。辞任した佐田玄一郎行革担当相やこれから問題になる松岡農水大臣、伊吹文科大臣などは、国会での説明責任を問われます。こっちの身を清めた上で、徹底追及だと言っています。古い政治体質が問題なのです。 国民にとっては、もっと大事なことがあります。雇用形態、教育、福祉や年金などの日常生活の不安は、しっかりした社会のセイフティーネットを作ることを怠ったまま、無秩序な規制緩和などで、闇雲に競争に掻き立てた政府の失政に原因があります。安定した中流意識が一挙に崩れて、生活不安の下層住民が広がっていることを、ここで危機感を持ってくい止めなければなりません。国会の「格差」の論議の本質は、ここにあります。 ○タイのタクシン前首相の憤懣 タイの軍事クーデターで失脚したタクシン前首相と会う機会がありました。日本の「一村一品運動」のタイ版を仕掛け、農村の低所得者層の圧倒的人気に支えられたカリスマ的な大統領だったのですが、報道では、タクシン氏の不正蓄財スキャンダルから社会不安への危機感が軍部にクーデターを決行させたとしています。タクシン氏の外遊中の出来事だったために、彼は、いまだ母国には帰ることができません。 「クーデターの本当の原因は、私が強くなりすぎたこと。プミポン国王は私の力に危機感を持った。タイの民衆は、本当は、いまだに私の味方だと信じている。しかし、国王には逆らえないから、私は全ての政治的な公職から身を引いた上で帰国したいと思う。新しい政治活動はそれからの話だ。今回の訪日で、はっきりしたことは、日本政府の裏切り。軍事政権に気兼ね |
して民主的プロセスで選ばれた大統領を罪人扱いする日本政府は、先進民主国家の一員に値しない。中国は、私の北京滞在を支援してくれた。ロンドンにも拠点を置くことは、イギリス政府の歓迎するところだ。日本は、ミャンマーの軍事政権は否定して、どうしてタイは応援するのか。」以上が、憤懣やるかたない彼の口から、酒の勢いもあって、一挙に溢れ出た言葉ではありました。 ○父の急逝。91歳の大往生。 去る1月16日に、父、繁三郎が亡くなりました。享年91歳。息をひき取る直前まで元気でいてくれました。 父は、造り酒屋の三男に生まれ、人生の前半は、自ら起こした会社に全ての情熱をかけて生きました。今の社名を松阪興産と言い、私の弟が継いで、お蔭様で順調に業績を伸ばしています。 還暦を迎えて、父は、自分の人生を見事に切り替えました。テニスの世界にうち込んだのです。最初は、家族や周りを巻き込んで「六十の手習いとは、ほほえましい。」程度だったのが、あれよあれよと言っている間に、自宅の前の田んぼを埋めて、室内コート3面、屋外コート4面のテニスコートを作り、会員400人を擁するテニスクラブに発展しました。さらに、温泉掘削まで手がけて、それを掘り当ててしまいました。 「おまえには、選挙にもいいように、正春という易しい字を選んだ。」と、父は子供の私によく言いました。あれは、父の暗示だったのかもしれません。弟も自然な形で、大学は、土木を選び会社を守っています。私たちは、今、改めて父の深い愛をかみしめ、心から感謝しています。 最後まで、充実して燃えつくした父の人生を「私も、あんな人生がおくれたらな。」と、皆がため息混じりに言います。大往生の人生でした。 松阪興産による「お別れの会」を下記により執り行わせていただきます。 日 時:2月12日(月) 午後3時より一般献花 場 所:松阪市 華王殿 |